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主に合唱日記・・・だったのは気のせいです。弐代目
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8:00  ホテル出発。ガイドは牟さん。
ツアー参加者はうちらだけらしく、ほぼ専属ガイド&専属ドライバー状態。 


①都江堰
     
始皇帝が中国を統一するよりもっと前、成都の水不足を解消する為に建設されたダム。吊橋を渡って中洲に行ったが、ものすごく揺れた。流石にガイドの牟さんは、スイスイ渡っていたよ。入り口には、このダムに関わりのある人の石造が並んでおり、その中には諸葛亮もいた!! 




(下)は吊橋部分を拡大
  
②杜甫草堂      
杜甫が、安史の乱を避ける為、家族と共に暮らした場所。「にしては広いよ!」と思えば、明・清時代に改修したそうな。隣接する博物館内の土産屋では、杜甫以外にも荀子、孟子などの本が売っていた。その中には「孫子兵法」や「三十六計」という本もあった。・・・三十六計は「孫子兵法」の一部ではなかったのだろうか?


牟さんの後姿。
      
③武侯祠      
三国志が好きな人にとっては、一度は行ってみたい場所。そもそもは主君・劉備を祭ってある場所だったが、今では諸葛亮の方がメインに。因みに「武侯」は諸葛亮の事をさす。    

《二門》     
入り口入って正面に見えてくる門。良く見ると「明」という字が一本多いが、これは諸葛亮の字・孔明の「明」をさす。しかし、そのまま書くのは恐れ多いから、一本付け足したとの事。

《劉備殿》     
二門を潜った正面に見えてくるのが、劉備の像。耳はやはり「福耳」!(←ポイント)    

《武将廊&文臣廊》     
劉備の周りには武将14人、文官14人が控えている。これは、中国では天に28人の神がいる事からきているそうな。その為、知らない武将・文官が多い。因みに街亭の戦いで失策をした“馬ショク” と“魏延”の像は無かった。写真は、何故か爺様の“趙雲”と、個人的に好きな“ホウ統”の像。
  
(左)趙雲 (右)ホウ統
  
《諸葛亮殿》     
君主より奥に祭られているが、階段で下る事から、一応臣下としての差をつけれらている諸葛亮殿。羽扇にあの帽子。やっぱり、真・三国無双3のマッシュルームは嫌だ~
   
《劉備墓》     
「曹操の墓は残っていないが、劉備の墓は残っている。つまり、劉備は漢王室の正当な後継者であり、正当なものこそが後世に残る」と言いたいそうな。しかし、ガイドの牟さん曰く「仁義や忠実といった教育のために政府が保護している」という一説も。。。う~ん。 
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